自己紹介 Profile
教育文化ストラテジスト
Suad Al Mudhaffar
スワーダ・アル・ムダファーラ
カルチャーセンターを主宰していた20代のシングルマザーだったころ、初めてオマーンを訪れました。
日本文化を紹介する使節団に参加し、帰国前日、オマーンの宮内大臣主催のお別れパーティーに招待いただきました。
宮内大臣の邸宅はきらびやかで目を見張るもので、特に驚いたのは豪華なトイレでしたが、何か味気なさを感じました。
そこでトイレの手洗い場に花を活けておいたところ、翌日空港で宮内大臣の秘書からお花を生けた確認と、お礼のプレゼントを手渡されました。
帰国後、宮内大臣から「オマーンの女性に日本の心を教えてほしい」と依頼されました。
私はまさかオマーンを再訪するなどと、考えてもおらず「機会がありましたら」と受け流していました。
しかし、オマーン行きのチケットが送られてきて、熱烈なアプローチに心を動かされ、オマーン再訪が実現することに。
オマーン再訪は、女性だけの家族のお家でホームステイ、そこのお母さんからイスラムの歴史やお話を聞き、幼いころベッドストーリーでおばあちゃんから聴いていた仁王様、仏様、神道のお話を想い出し「イスラムと同じでは?」と。
そしてオマーンでは皆がイスラムの教えに従い、私は何の抵抗もなくイスラムに改宗、「スワーダ・モハメッド・アブドゥラァ・アルムダファーラ」という名前を授かりました。
1980年、建国間もないオマーンは近代化が進みはじめていたころでしたが、多くの人々に教育を施す為、詰込み教育のように思いました。
当時、夫の子ども3人と連れ子の娘、突然4人の子育てをする中、私は改めて自分の受けた日本の教育の素晴らしさを再認識、オマーンの子どもたちに日本の良さを取り入れた教育をしてあげたいと思うようになり。
「学校を創りたい」という想いを当時の夫は受け入れてくれず、資金も書類提出も協力無しでできるならと、まさかやり遂げるとは思いもしなかったようです。
まずは資金稼ぎのビジネス展開、そしてオマーン教育省の認可申請と奔走するも、英語もアラビア語も自分の言語でない元日本人女性を、オマーン文部省はなかなか真剣に取り合ってくれませんでした。
それでも毎日文部省を訪れ、オマーンの子どもたちの将来に役立つことを解き続け、校長職の許可を取り付けました。
学校設立資金集めのビジネス、持ち合わせた全ての財を注ぎ込み、1990年、アザン・ビン・ケイス・プライベートスクールを開校、幼稚園5名の一期生から始まりました。
アザン・ビン・ケイス・プライベートスクールは世界の学力テストで参加生徒全員の高点数獲得は、世界ナンバーワンの生徒を輩出したことで、一躍注目されるようになりました。
2010年、校長職引退後、教育コンサルタント、オマーンと日本の大学生交流、オマーンの大学生インターンシップ紹介、日本の大学紹介、スピーチコンテストなど企画・開催、若者が社会進出に必要な指導を行ってきました。
そして、中小企業育成、特に女性の自立の為のワークショップ、ビジネスアドバイザー、スタートアップなど手掛け、女性が抱える問題解決のパーソナルアドバイス&ライフコーチなども行っています。
しかし、私が世の人のために役立てることはまだたくさんあると思っており、教育アドバイス、ビジネス・コンサルタント、女性の自立、パーソナル・アドバイス、及びコーチなど日本・オマーンに関わりなく力を入れております。
明るい未来を見通しにくくなっている今だからこそ、これまでの経験を活かしてできることをしていきたいと思っています。
日本文化を紹介する使節団に参加し、帰国前日、オマーンの宮内大臣主催のお別れパーティーに招待いただきました。
宮内大臣の邸宅はきらびやかで目を見張るもので、特に驚いたのは豪華なトイレでしたが、何か味気なさを感じました。
そこでトイレの手洗い場に花を活けておいたところ、翌日空港で宮内大臣の秘書からお花を生けた確認と、お礼のプレゼントを手渡されました。
帰国後、宮内大臣から「オマーンの女性に日本の心を教えてほしい」と依頼されました。
私はまさかオマーンを再訪するなどと、考えてもおらず「機会がありましたら」と受け流していました。
しかし、オマーン行きのチケットが送られてきて、熱烈なアプローチに心を動かされ、オマーン再訪が実現することに。
オマーン再訪は、女性だけの家族のお家でホームステイ、そこのお母さんからイスラムの歴史やお話を聞き、幼いころベッドストーリーでおばあちゃんから聴いていた仁王様、仏様、神道のお話を想い出し「イスラムと同じでは?」と。
そしてオマーンでは皆がイスラムの教えに従い、私は何の抵抗もなくイスラムに改宗、「スワーダ・モハメッド・アブドゥラァ・アルムダファーラ」という名前を授かりました。
1980年、建国間もないオマーンは近代化が進みはじめていたころでしたが、多くの人々に教育を施す為、詰込み教育のように思いました。
当時、夫の子ども3人と連れ子の娘、突然4人の子育てをする中、私は改めて自分の受けた日本の教育の素晴らしさを再認識、オマーンの子どもたちに日本の良さを取り入れた教育をしてあげたいと思うようになり。
「学校を創りたい」という想いを当時の夫は受け入れてくれず、資金も書類提出も協力無しでできるならと、まさかやり遂げるとは思いもしなかったようです。
まずは資金稼ぎのビジネス展開、そしてオマーン教育省の認可申請と奔走するも、英語もアラビア語も自分の言語でない元日本人女性を、オマーン文部省はなかなか真剣に取り合ってくれませんでした。
それでも毎日文部省を訪れ、オマーンの子どもたちの将来に役立つことを解き続け、校長職の許可を取り付けました。
学校設立資金集めのビジネス、持ち合わせた全ての財を注ぎ込み、1990年、アザン・ビン・ケイス・プライベートスクールを開校、幼稚園5名の一期生から始まりました。
アザン・ビン・ケイス・プライベートスクールは世界の学力テストで参加生徒全員の高点数獲得は、世界ナンバーワンの生徒を輩出したことで、一躍注目されるようになりました。
2010年、校長職引退後、教育コンサルタント、オマーンと日本の大学生交流、オマーンの大学生インターンシップ紹介、日本の大学紹介、スピーチコンテストなど企画・開催、若者が社会進出に必要な指導を行ってきました。
そして、中小企業育成、特に女性の自立の為のワークショップ、ビジネスアドバイザー、スタートアップなど手掛け、女性が抱える問題解決のパーソナルアドバイス&ライフコーチなども行っています。
しかし、私が世の人のために役立てることはまだたくさんあると思っており、教育アドバイス、ビジネス・コンサルタント、女性の自立、パーソナル・アドバイス、及びコーチなど日本・オマーンに関わりなく力を入れております。
明るい未来を見通しにくくなっている今だからこそ、これまでの経験を活かしてできることをしていきたいと思っています。
スワーダから皆様へ
プロフィール
| 性別 | 女性 |
|---|---|
| 出身地 | 東京 |
| 趣味 | スイミング・読書 |
経歴
| 1953年 | 東京都に生まれる。 |
|---|---|
| 1971年〜1973年 | 藤村女史高校卒業後、銀行勤務しながらデザインを勉強。 恩師山本寛斎に学び、カルチャースクールを設立 |
| 1979年 | オマーン親善使節団に加わる |
| 1980年〜1982年 | オマーンを往来する |
| 1990年 | アザン・ビン・ケイスプライベートスクールを設立、校長として教育事業に邁進 |
| 2010年〜2011年学期 | 校長職を引退 |
| 2012年 | Student Forum(大学生グループ)を設立 教育アドバイザー、ライフコーチ、ビジネスコンサルタントとしての活動を開始、現在に至る |
刊行書籍
- 校長先生大好き 求龍堂出版
- 砂漠に創った世界一の学校 アスペクト出版
- アラブに日本の教育を 日本サウジアラビア協会出版
受賞・褒章
- 夏休み青少年に影響を及ぼした本-栃木県主催1997年度賞 著書「校長先生大好き」求龍堂出版
- ニューズウィークの「世界が尊敬する日本人100人」2007年
- Northwest Asian Weekly 「10 female leaders who’ve made a big difference in the last year」(今年世界に影響を与えた女性リーダー10人)2011年
- 平成30年度 オマーン在特例全権大使表彰
- 令和5年度 外務大臣表彰
- 令和7年度 秋の叙勲、旭日小綬章
